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朝鮮半島はなぜ北朝鮮と韓国に分断したの?簡単にわかりやすく解説します。

2022-10-05

朝鮮半島なぜ分断

この記事では、朝鮮半島に北朝鮮と韓国という2つの国ができた原因や背景、そして現状について、簡単に解説しています。

「北朝鮮のミサイルが日本を超えて太平洋上に着弾。」というニュースが何度かありました。

警戒アラートが出されたこともありました。

だいたい、なぜ北朝鮮はミサイルを発射するの?

なぜ日本と北朝鮮の関係はこんな感じなの?

北朝鮮と、韓国やアメリカ、中国やロシアの関係はどうなっているの?

考えると、いろんな疑問が浮かんできますが、

ここでは朝鮮半島(北朝鮮と韓国)が2つに分断された理由簡単にわかるように説明したいと思います。

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日本が朝鮮半島を植民地に!

明治時代になり、日本は「欧米(ヨーロッパやアメリカ)に追いつき追い越せ!」ということで、学校をつくったり、税金制度を整えたり、軍隊を強くしたりしていきました。また、憲法(大日本国憲法)や国会、内閣総理大臣などができたのもこのころです。

さらに、国の領土も(ユーラシア)大陸に広げようと考えていきます。

そこで目を付けたのが朝鮮半島でした。

しかし、清(中国)は「朝鮮はうちの国の属国(支配している国)だ!」と言っていました。

日清戦争

朝鮮半島で甲午農民戦争という反乱が起きたため、日本と清が朝鮮に軍隊を送りました。

これをきっかけに1894年に日本と清の軍隊がぶつかり「日清戦争」が始まりました。

清は昔から力もあったため、清の方が強いだろうと思われていたのですが、欧米をお手本にしていた日本は急成長していて、翌年、日本がこの戦争に勝ちました。

そして日本と清の間で下関条約(条約=国と国との約束)が結ばれました。

下関条約の内容(一部)
  • 清は、朝鮮を属国ではないことを認める。
  • 清は、日本に賠償金2億テール(約3億円)を支払う。
  • 清は、リャオトン半島、台湾、ポンフー諸島を日本にゆずる。   など

ところが、これを快く思わなかったロシアが口出ししてきました。

日本に「ちょっと待った!」「リャオトン半島を清に返しなさい」と言ってきたのです。

しかも、ロシアはフランスとドイツも味方につけて言ってきたので、日本はこれを仕方なく受け入れ、手に入れた大陸の土地をあきらめました。3つの国が口出ししてきたので、このできごとを三国干渉(さんごくかんしょう)と呼びます。

*代わりに賠償金は少し増えました。

これ以来、日本の中ではロシアに対する不満や対抗心が強くなりました。

日露戦争

日清戦争で負けた清に対して、欧米や日本などは「鉱山を掘らせてくれ」「鉄道を使わせてくれ」「港から自由に行き来させろ」とやりたい放題になりました。

1900年、清の義和団という組織が「外国人出ていけ!」という運動をおこし、それがきっかけで清は8か国に宣戦布告(=戦争するぞという宣言)しました。これを義和団事件と呼びます。

義和団事件後もロシアは清から出ていかなかったので、日本はロシアに「国に帰れ」と言いました。それでも帰らないので、日本のロシアに対する不満はもっと強くなりました。

1902年、日本は、ロシアのことをよく思ってなかったイギリスと手を組みました(日英同盟)。

1904年、ついに日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。

この日露戦争も日本有利に進み、最後はアメリカが仲介に入り、日本の勝利で終わりました。

そして、日本とロシアの間でポーツマス条約が結ばれました。

ポーツマス条約の内容(一部)
  • ロシアは、日本が朝鮮半島ですることに口出ししない。
  • ロシアは、樺太の半分を日本にゆずる
  • ロシアは、清から借りている旅順や大連一帯の鉄道や炭鉱などの権利を日本にゆずる。
  • ロシアは、カムチャッカ沿岸の漁業権を日本人に与える。    など

韓国併合

清やロシアの影響がなくなったので、ついに日本は、朝鮮半島を手に入れるために動き出しました。

*当時、朝鮮を大韓帝国と呼んでいました。

日本は、大韓帝国の外交権(外国と交流する権利)を奪い、軍隊も解散させ、政治の権利も奪い、

1910年、ついに朝鮮半島(大韓帝国)を日本の植民地にしました。これを「韓国併合」と呼びます。

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その後、世界では、1914年に第一次世界大戦が起こります。その大戦中の1917年、ロシアではロシア革命が起こり、1922年にソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)という国になりました。

第二次世界大戦後植民地から解放されたのに朝鮮半島分断!?

日本に植民地化された朝鮮半島の人たちは、日本語や日本の文化などを学ばされました。

日本に連行されて働かされる人たちもいました。

さらに、1937年に日中戦争、1941年に太平洋戦争と、日本が戦争を続ける中で朝鮮の人たちも兵士として戦争に加わっていきました。

1939年から1945年までの、日本・ドイツ・イタリア(枢軸国)イギリス、ソ連(ロシア)、フランス、中国、アメリカなど(連合国)の戦争を第二次世界大戦と呼びます。

第二次世界大戦の終わり

第二次世界大戦で、日本は苦戦を強いられ、大きな被害を出していきました。

1945年3月には、沖縄での地上戦や東京大空襲、そして8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が落とされました。

1945年8月14日、ついに日本はポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れて、戦争が終わりました。翌日には昭和天皇がラジオでを通じて日本国民に日本の敗戦を伝えました。

日本が敗戦したことで、それまで日本に植民地化されていた地域は、解放されていきました。

朝鮮半島も30年以上続いた日本の植民地支配から解放されました。

ただ、ここで新たな問題が生まれました。

北朝鮮と韓国

戦後、ソ連とアメリカの仲は悪くなり、にらみ合うようになりました。そして世界は大きく東側と西側(東側のリーダーがソ連、西側のリーダーがアメリカ)の2つに分かれて対立してしまいます。この後40年以上続いた東西の対立を「冷戦」といいます。

冷戦は、世界の様々な国や地域に影響を与え、その影響は朝鮮半島にも・・・

日本の植民地支配から解放され、これから独立国として再出発する朝鮮半島に対して、ソ連もアメリカも「うちの国が面倒を見てやる」となったのです。

そして、北緯38度線を境に、朝鮮半島の北側をソ連が、南側をアメリカが、という風に分かれてしまいました。

その結果、朝鮮半島には、ソ連が支援する北側に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)アメリカが支援する南側に韓国(大韓民国)という2つの国ができました。

朝鮮戦争って何?

朝鮮半島が2つ(北朝鮮と韓国)に分かれて、冷戦を背景に、ここでもにらみ合いが続く中の1950年、この2つの国が戦争します。これを「朝鮮戦争」と言います。

朝鮮戦争では、ソ連や中国が北朝鮮を、アメリカが韓国を支援しました。中国やアメリカは実際に朝鮮半島に入って戦争に加わっています。その他にも、多くの国がこの戦争に関わりました。

この戦争中、アメリカ軍は日本の基地から戦地に向かったため、日本でいろいろな物を買いました。その影響で、第二次世界大戦後どうしようもないくらいボロボロだった日本の経済が成長しました。この好景気を「特需景気」と言います。

戦争が長引く中、1953年に休戦協定を結びました。

ここで、気になるのが「休戦協定」です。終戦ではなく休戦です。つまり、朝鮮戦争はいったん休んでいますが、終わってはいないのです。

数十年の間に、何度か戦争を終わりにするための動きもありましたが、いまだにうまくいっていません。

まとめ

平和を願う

もともと朝鮮半島は一つの国(朝鮮国)だったのに、日本からの植民地支配~米ソの対立(冷戦)という他国の影響もあり、北朝鮮と韓国という2つの国に分断してしまいました。

1989年に冷戦の終結が宣言されたのに、1991年にはソ連もなくなったのに、いまだに朝鮮半島は分断したままだし、朝鮮戦争も事実上続いています。

長い歴史の中で、日本と朝鮮半島は密接な関係を持ってきました。

また隣国としても、今後の朝鮮半島の動向に目が離せません。

年表

この記事の内容にかかわる主なできごとを掲載した年表です。参考にしてください。

西暦できごと
1894年甲午農民戦争
日清戦争
1895年下関条約
三国干渉
1900年義和団事件
1902年    日英同盟    
1904年日露戦争
1905年ポーツマス条約
1910年韓国併合
1914年第一次世界大戦  
1917年ロシア革命
1919年パリ講和会議/ベルサイユ条約
1920年国際連盟設立
1922年ソビエト社会種共和国連邦建国(ソ連)成立  
1937年日中戦争
1939年第二次世界大戦
1941年太平洋戦争
1945年第二次世界大戦終結
1948年大韓民国(韓国)成立宣言
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立宣言
1950年朝鮮戦争
1953年朝鮮戦争休戦協定
1989年冷戦終結を宣言
1991年ソ連解体

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