江戸時代(幕末)から明治時代までの歴史一問一答60問【自分に合った勉強法を!】
「十人十色」という言葉があります。
好みや考え、性格などは人によって違うという意味です。
これは勉強にも言えることで、人によって合った勉強方法は十人十色です。
例えば、とにかく書いて覚える人と、とにかく目で読んで覚える人、口に出すことで覚える人
人によって覚え方にも違いがあります。
自分に合った勉強方法は何ですか?
それを知るためには、いろいろな勉強方法を試してみることです。
何もやらずに「勉強方法がわからない」は当たり前です。
いろいろ試してみて「これが自分には合う!」という勉強方法を見つけましょう。
一問一答は誰もが取り組みやすい勉強方法の一つだと思います。
他の時代の一問一答には下の項目から行けます。(随時更新していきます)
今回は江戸時代(幕末)から明治時代の一問一答だよ。
主に中学受験や高校受験を控えた小中学生向けの内容だよ。
解答と解説もつけてあるので活用してね!
※各問の問題文をクリックすると解答と解説を見ることができるよ。
江戸時代(幕末)~明治時代「60問」
江戸時代(幕末)
解答:尊王攘夷運動
解説:天皇を敬うのが「尊王論」外国勢力を追い払おうというのが攘夷論、この2つが結びついた運動を尊王攘夷運動といいます。
解答:生麦事件
解説:翌年、生麦事件の報復としてイギリスが薩摩を攻撃しました(薩英戦争)。薩摩藩はイギリスの強さを知ることになります。
解答:長州藩
解説:翌年、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四ヵ国連合艦隊が長州藩を攻め、下関砲台は占領されました。長州藩は欧米の強さを知ることになります。
解答:薩長同盟
解説:敵対していた薩摩藩と長州藩が討幕のために手を組んだ同盟です。
解答:坂本龍馬
解説:坂本龍馬は薩長同盟の仲介に尽力したり、海援隊を組織して貿易を行ったり、新時代をつくる中心となりましたが、1867年11月に京都の近江屋で暗殺されました。
解答:ええじゃないか
解説:幕府の力が衰え、外国勢力が国内に入り、物価も上がる中、世直し一揆が増加していました。ええじゃないかも世直しが目的だったと考えられています。
解答:徳川慶喜
解説:中学校では、江戸時代で覚えるべき将軍は、初代家康、2代秀忠、3代家光、5代綱吉、8代吉宗、そして最後の将軍15代慶喜です。
解答:大政奉還
解説:大政奉還によって、約260年続いた江戸時代が終わりました。
明治時代
解答:王政復古の大号令
解説:徳川慶喜を始め、旧幕府勢力は新政府から除外されました。
解答:五箇条の御誓文
解説:「広ク会議ヲ輿シ万機公論ニ決スベシ」「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ」などの五か条から成っています。
解答:戊辰戦争
解説:1868年1月の鳥羽伏見の戦いから、翌年6月の箱館戦争までを戊辰戦争と言います。新政府軍の勝利で終わりました。
解答:西郷隆盛
解説:旧幕府側の代表は勝海舟。江戸城を巡り、新政府軍と旧幕府軍が一触即発の状態でしたが、2人の話し合いの結果、東京(江戸)を戦場にすることなく江戸城が明け渡されました。
解答:版籍奉還
解説:最初に薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩に版籍奉還を行わせ、他の藩も続かせました。その後、政府は藩主を知藩事に任命しました。
解答:廃藩置県
解説:東京府、京都府、大阪府と他は県となり最初は3府304県でした。知藩事は廃止され、府知事と県令(後の県知事)が派遣されました。
解答:解放令
解説:解放令は出されましたが、具体的な政策はなかったため、差別は根強く残りました。
解答:岩倉使節団
解説:使節団メンバーは伊藤博文や大久保利通、木戸孝允らでと多くの留学生でした。留学生の中には当時7歳の津田梅子もいました。目的は欧米視察と条約改正でした。視察して学んだことはその後の発展に大きく影響しましたが、条約改正は達成できませんでした。
解答:学制
解説:全国に小学校を建設し、すべての国民が教育を受けられることをめざしましたが、小学校建設の費用は住民の負担となったため各地で一揆が起こりました。
解答:徴兵令
解説:徴兵令も国民にとって大きな負担となったため各地で一揆が起こりました。
解答:地租改正
解説:地価を決め、地券を発行して土地の所有を認め、米ではなく現金で税を徴収しました。これも国民の負担となり、各地で一揆が起きました。
解答:明治維新
解説:1868年から、元号は「明治」、江戸は「東京」となり、天皇も東京に移り住みました。様々な政治改革が行われ、生活様式も大きく変わりました。
解答:富国強兵
解説:富国強兵のスローガンのもと、三大改革や殖産興業の推進が行われました。殖産興業とは欧米からの技術導入や官営工場の建設による産業の保護や育成のための政策・スローガンのことです。
解答:征韓論
解説:欧米から帰国した岩倉具視や大久保利通らの「国力の充実が優先!」という考えに敗れ、征韓論を唱えていた板垣退助や西郷隆盛は1873年に政界を去りました。
解答:民撰議院設立の建白書
解説:「藩閥政治」とは、4つの藩(薩摩・長州・土佐・肥前)出身者による政治。専制政治とは一部の人による政治。
解答:自由民権運動
解説:板垣退助は1874年に土佐(高知)で立志社を設立し、1875年には全国規模の愛国社設立、1880年には愛国社は国会期成同盟となり、政府の弾圧が厳しくなる中、自由民権運動は発展していきました。
解答:西南戦争
解説:佐賀の乱(1874)や萩の乱(1876)、秋月の乱(1876)など、主に西日本で士族の反乱がおこりました。西南戦争で敗れた西郷隆盛は自決しました。
解答:日清修好条規
解説:お互いの国が領事裁判権を認めるなどの内容が含まれる対等な条約でした。
解答:樺太千島交換条約
解説:樺太はロシア領、千島列島は日本領となりました。
解答:日朝修好条規
解説:1875年に日本が軍艦を朝鮮の江華島近海に侵入して武力衝突が起こりました(江華島事件)。これをきっかけに、翌年、日本は武力を背景に朝鮮と日朝修好条規を結びました。
解答:琉球処分
解説:日本は武力を背景に、琉球処分を行いました。琉球王国の国王だった尚泰は、東京に移住させられました。
解答:屯田兵
解説:開拓のために北海道に置かれた役所を開拓使と言います。
解答:大隈重信
解説:開拓使官有物払い下げ事件とは、北海道開拓のために国が建設した建物を、関西貿易会社に格安で売却されることが発覚し、国民(特に民権派)から批判が上がった事件です。この結果政府は、払い下げ中止、大隈重信追放に加え、10年後に国会を開くことを約束しました。
解答:自由党
解説:国会開設に向けて政党が結成されました。大隈重信は立憲改進党を結成しています。
解答:伊藤博文
解説:伊藤博文は計3回内閣総理大臣を務めています。伊藤博文は長州藩(山口県)出身で、山口県出身の首相は8人で最も多いです。
解答:大日本帝国憲法
解説:君主の権限の強いドイツ(プロイセン)の憲法を参考にしました。主権は天皇、国民は臣民とし、権利にはかなり制限がありました。日本はアジア初の近代的立憲制国家となりました。
解答:直接国税15円以上納める満25歳以上の男子
解説:この条件を満たすのは国民のわずか1.1%でした。二院制が採用されましたが、貴族院は皇族や華族などで構成されていました。
解答:教育勅語
解説:教育勅語のもと、国民に「忠君愛国」の精神などが教え込まれて行きました。「忠君愛国」とは主君に忠実で、国を愛するということです。
解答:ノルマントン号事件
解説:事件後、イギリス領事が裁判を行い無罪判決となったため、日本国民から激しい批判が起こりました。
解答:日英通商航海条約
解説:このときの外相は陸奥宗光でした。関税自主権の完全回復は1911年の小村寿太郎外相のときです。日本は念願だった条約改正を達成しました。
解答:日清戦争
解説:朝鮮半島で甲午農民戦争が起き、清と日本両国が軍隊を派遣したため戦争へと発展しました。日本の勝利で終わりました。
解答:下関条約
解説:清は朝鮮半島を独立国と認め、賠償金2億テールを支払い、台湾・ポンフー諸島・リャオトン半島を日本に譲ることになりました。
解答:三国干渉
解説:日本はこの要求を受け入れましたが、ロシアに対する不満や対抗心が高まりました。
解答:立憲政友会
解説:略称は政友会。
解答:義和団事件
解説:日清戦争後の列強による中国分割に対する反発から起きた事件です。日本を含む8か国が軍隊を派遣し鎮圧しました。その後中国分割が更に進んでいきました。
解答:日英同盟
解説:ロシアに対する警戒から結ばれた同盟です。
解答:日露戦争
解説:内村鑑三や幸徳秋水など非戦論者の反対もありましたが、1904年に日本はロシアに宣戦布告しました。アメリカ仲介のもと、日本の勝利で終わりました。
解答:ポーツマス条約
解説:ロシアは日本に朝鮮半島での優越権や鉄道の権利、樺太の南半分などを譲ることになりましたが賠償金はありませんでした。賠償金がないことに不満を持った人々によって日比谷焼き討ち事件が起きました。
解答:韓国併合
解説:当時、朝鮮のことを大韓帝国と呼んでいました。日本は植民地化前に韓国統監府を置き、伊藤博文が初代統監を務めましたが、1909年に暗殺されました。植民地化後には朝鮮総督府を置きました。
この頃の朝鮮半島に関しては下の記事⇩で詳しく解説しています。
明治時代の産業・文化
解答:財閥
解説:財閥は日本の産業を支配し、政府や政党とも結びつきを強めていきました。
解答:富岡製糸場
解説:殖産興業政策のもと、フランス製の機械を導入して建設されました。現在は世界文化遺産に登録されています。
解答:(官営)八幡製鉄所
解説:筑豊炭田の石炭と中国からの鉄鉱石輸入を考慮し、北九州に建設されました。日本は明治時代になり軽工業を中心に急速な工業化が進み、八幡製鉄所のような重工業も成長し始めました。この頃の産業や生活の変化を「日本の産業革命」と呼びます。
解答:足尾銅山鉱毒事件
解説:衆議院議員の田中正三は、この事件の原因を訴えるため議員を辞職し、天皇に直訴までしようとしましたが取り押さえられました。このできごとが報道され、足尾銅山鉱毒事件は世間に知り渡りました。
解答:渋沢栄一
解説:2024年からの新紙幣「一万円札」の肖像は渋沢栄一になることが決まっています。ちなみに五千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎です。
解答:文明開化
解説:太陽暦や24時間制、洋服やザンギリ頭、牛乳や牛肉、ガス灯やランプなど人々の生活に大きな変化が見られました。
解答:夏目漱石
解説:野口英世の前の千円札の肖像は夏目漱石でした。
解答:樋口一葉
解説:五千円札の肖像にもなっている女性作家です。
解答:与謝野晶子
解説:「君死にたまふことなかれ 」は日露戦争に向かう弟に向けて書かれた詩です。戦争に反対する気持ちを書いています。
解答:滝廉太郎
解説:東京で生まれ、神奈川や富山や大分で暮らしました。「荒城の月」は大分県竹田市の岡城がモデルと言われています。
解答:横山大観
解説:岡倉天心や橋本雅邦に学び、西洋式の手法を取り入れた日本画を描きました。
解答:北里柴三郎
解説:「近代日本医学の父」とも呼ばれ、2024年からの新紙幣「千円札」の肖像になることも決まっています。
解答:野口英世
解説:北里柴三郎に学び、様々な感染症などの研究をしました。黄熱病研究中に自身が感染し亡くなりました。現千円札の肖像です。
まとめ
今回は、江戸時代(幕末)から明治時代までの一問一答60問でした。
この時代は、欧米に追い付け追い越せという目標のもと、日本が大きく変化して近代化していく時代です。国内のできごとと外国とのかかわりを抑えておくことが大事だよ。
歴史が苦手な人でも、繰り返しやっていけば必ず覚えられるから
まずはしっかり暗記がんばれ!そして自分に合った勉強法を習得しよう!
他の時代の一問一答には下の項目から行けます。(随時更新していきます)
「塾よりも家で勉強したい」という人や「勉強のやり方がわからな~い(゚Д゚)ノ」という人には、オンライン家庭教師がオススメです!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません